躁鬱少年

実家を飛び出し、遠く離れた親せきの家で過ごしている高校三年生。

そんな僕は、「双極性障害」という精神病を患っています。このブログは、弱っちい僕が立派な人間になるため、皆さんと一緒に前を向いて歩き始めよう。そんな願いを込めたものになっています。ぜひ、最後までお付き合いいただけるとありがたいです。

それでは、まずは昔話から。

双極性障害との出会い 中学生編】

双極性障害と診断されたのは高校三年生のことですが、実際に症状が現れたのは中学二年生のころだったと思います。きっかけは確か、、進路関係で揉めたことだったかな。スーパーウルトラ真面目少年だった僕は、何事にも手を抜かずthe優等生みたいな感じでした。知らず知らずのうちに少しずつ何かがたまっていたのでしょう。進路で揉めたことをきっかけに不登校に。親に怒鳴られ、親を泣かせ、担任には毎日家に呼びに来られる。それが自分にとってはとてつもなく苦痛で、「もう死んでしまいたい」ただそれだけを思って過ごしていました。その波は一年近く続き、もちろん受験は大失敗。第三希望くらいの地元の高校に進学することとになりました。心機一転さあ頑張ろう!!!これからは順調に高校生活を送れるはずでしたし、当時はそう思っていました。

双極性障害との出会い 全日制高高校編」

さあ、待ちに待った高校生活!!なんと、高校生活は順調そのもの。クラスではだれとでも仲が良く、成績もよく、部活でも大活躍!夏休みにはアルバイトも始めて順風満帆。楽しくて仕方がなかった。そんな夏休み後半。あれ。なんだこの感じ。。何かがおかしい。。。。ああ、またか。それは中学二年生のころに感じた違和感と全く同じものでした。体が動かない。憂鬱感。希死念慮。二学期からは案の定、動けません。親からは怒鳴られ。再び「死にたい」と思い続ける日々。。「もう生きてる意味はない」そう思い、包丁を首にあて、あとは死ぬだけ。まあ、死ねません。怖くてたまりません。二回ほど挑戦してみましたが、無理でした。怖い。毎日死にたいと思い、でも死ねない。いやー。あの時はほんとつらかったですね。思い出すだけでも心に来るものがあります。そんな時、出会ったのが通信制高校でした。そのままそこに編入し、こころに余裕を持ちながらゆっくりと生活をしました。高校二年生になり、週二回学校に通学して順調に心の調子を取り戻していた僕に、今度は躁の症状が出始めました。

双極性障害との出会い 通信制高校編】

通信制高校に入って調子は絶好調!過去最高レベルで調子が良かった一年間でした。バイトは朝六時から週五で、あと二日は学校へ。休みのない毎日を過ごし、学校行事にも参加し、もうそれはそれは大活躍。いろんな検定を取り、作詞家や音楽家を目指すなどちょっと危ないような話までしていました。そんな自分を先生方はちょっと心配していたようです。そして三回目の波がやってきます。学年の終わりごろ、ちょうどやることが終わったくらいでしょうか。また奴が現れます。今度はご飯も食べられず、体重はみるみる減少。過去最低体重に。このままじゃあと一年間過ごせない。そう思い、友人の勧めで初めて精神科を受診することを決めました。はじめは鬱状態の治療だったんですが、だんだんと双極性障害の疑いが、、結果、今のところの診断名は双極性障害。というところで落ち着いています。この先、親といろいろ揉め、親戚のおうちに居候することとなるのですが、その話はまたの機会に。

【最後に】

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

PeR.のブログ。「躁鬱少年」では、自分の過去の話、現在の状況、将来の話などをのせていきたいと思っております。今、死にたいと思っている人。もうちょっとだけ僕の話を聞いてはくれませんか。もしよければ、僕と一緒に少しづつ頑張り始めませんか。僕は皆様の味方です。つらい世の中ですが、逃げたっていい。目を背けてもいい。あなたが生きてさえいてくれれば。そんな願いを込めて、これからもブログを書き続けようと思います。僕の夢は、映画のエンドロールに載ることです。映画のエンドロールに名前を載せます。その日が来るまで、一人の僕に、どうか居場所を作ってほしいです。

 

それではまた、次のブログで会いましょう。

                                    PeR.